最近、がんの診断を受けたけれど、西洋医学的な治療は受けずに経過観察をしたり、代替療法で治癒に取り組んでいる、という方たちとお会いする機会が増えてきました。
その方たちに共通して感じるのは、とてもクリアなエネルギーをお持ちなことです。
それは、「がん=不治の病」という集合無意識から離れたところに意識があることが大きいのではないかと、勝手に想像しています。
がんの診断を受けると、誰でも「死」という言葉を連想するものです。
「A+B=C」
A:がん
B:時間経過
C:死
これは、がんという病気に対する世の中の常識でしょう。
私たちの心身は集合無意識に大きく左右され、それが潜在意識を支配し、結果的に日常の思考だけでなく、肉体の振舞いをも左右します。
そのため、この方程式が成り立ってしまうと、意識の深い部分で恐れを手放せなくなり、すぐに治療に入らなければ進行して死に至る、というスパイラルに陥ることになります。
しかし、これは私の体験からも言えることですが、恐れや不安を手放し、治療法を自己責任で選んで決めることで意識は変わり、「がん=死」というスパイラルから抜け出す第一歩となります。
先ほど触れた方たちも、これまでお会いしたてきたがん自然治癒体験者の方たちも、この常識を手放して、がんは恐ろしいものだという意識から抜け出て、集合無意識とは異なる意識レベルにいるのではないかと思います。
西洋医学か、代替療法か、無治療か……
どれがベストで、どれが間違っているということではなく、自分の深い部分と向き合い、病気や症状のメッセージに気付くことが、本当の意味での治癒の第一歩なのだと思います。
先日、パソコンを新しくしたのでデータの移行作業をしていたら、おととし頃までブログやFBに頻繁にアップしていた、ドルチェごはんの写真が出てきました。
今月のブログを振り返ったら食べ物の話ばかりだったので、ならばと、今日もその流れでいこうと思います(笑)
この写真は鮭のムニエルで、下にズッキーニのソテーとマッシュポテトを敷いてあります。
たしかプチトマトとインゲン(?)をあしらって、写真を撮ろうとしたら、待ちきれずに鼻でツンッとして崩してしまったときのものです。
いくつかピックアップして、左上から、
・チキンソテー、いろいろ野菜のラタトゥイユ風?、ハートマカロニ添え、デザートに大学芋
・サグチキンとサフランライス
・ひじき入と豆腐入りハンバーグ
・ジャンバラヤ
・豚肉入りチャーハン
・サーモンソテー、トマトリゾット添え
わぁ、懐かしい!
作ったときのことや、食べている時の様子を案外覚えているものですね。
ハンバーグは冷凍にできるので、仕事で何日か留守にするときに重宝しています。
チャーハンやカレーもまとめて作っておけるので、忙しいときに便利です。
ドルチェのごはんは夕方に二食分作って、その日の夕食と翌日の朝食にしているので、作るのは夜だけ。
ドルチェの健康や楽しみにつながっていれば何よりですが、小さなお皿に盛り付けるまでの、おままごとのような作業は結構楽しいもので、わたしの趣味と気分転換も兼ねているように思います。
食材の宅配を利用しているのですが、半月ほど前、日本の在来種の葉野菜があったので注文してみました。
何が届くかは当日のお楽しみで、2ヶ所の生産地から届いたものは、石岡たかなと、山形の茎立菜でした。
石岡たかなはさっと茹でてから油揚げと炒め物に。
山形の茎立菜は、雪国の春を告げる菜っ葉だそうです。
置賜地方に伝わる茎立菜のふすべ漬けという郷土料理の作り方が紹介されていたので、真似て作ってみました。
どちらも心地よい苦みがあって、美味しかったです。
そういえば、最近の野菜は本当に甘くて食べやすくなりましたね。
私が子供の頃は、野菜は人参もピーマンもトマトほうれん草も、もっと土っぽくて、クセがあって食べにくいものでした。
苦みが苦手ではなかった私は、「ゆかりちゃんはピーマンの塩炒めを食べられるんだね。えらいね!」と周囲の大人が褒めてくれて、それがちょっと自慢でした。
最近は葉野菜もえぐみを感じることは少なくなりましたが、本来春先は、冬の間にたまった余分な毒素をデトックスできるように、春野菜はえぐみを持っているのが自然の形なのですよね。
タラの芽、ふきのとう、菜の花、たけのこ……
春の野菜はどれも独特のえぐみがあるものばかりで、本当に自然のサイクルはよくできているのですね。
今夜は、玄米たけのこご飯と春キャベツの味噌汁と、新タマネギのマリネの献立です。
今日も春の旬をいただきます。
コロッケです(笑)
仕事中に小腹がすいたので、財布を片手にお向かいのパン屋さんのお総菜コーナーへ。
トレーにコロッケを載せてレジに持っていくと、店員さんが声をかけてくれました。
「今、揚げているので、そちらにしますか?」
「はい、お願いします♪」
まあ、なんて嬉しいお気遣い!
「ちょっとお待ちいただいてもいいですか?」
そう言って店員さんはレジから揚げ場の様子を窺うことしばし。
そして紙袋を片手に奥へ行き、揚げたてのコロッケを入れて来てくれました。
「お待たせしました」
「嬉しいです。すぐにいただきます。ありがとう」
そんな言葉を交わし、店を出ました。
最近、男女問わず若い人たちの心配りや、若い店員さんの気持ちの良いサービスに接することがとても多いのです。
ちょっと思い巡らすだけでも色々な顔や情景が浮かんできます。
「こうした方が相手が喜ぶのでは?」
「あっ、今これを必要としているのでは?」
自分の感性で相手を観察して、気づいたことや感じたことを言葉や行動にする。
どれも大袈裟なことではないのだけれど、マニュアルで決められた範疇のちょっと先にあることです。
決められたことではないからこそ、その人の感性や優しさに触れることができて、こちらも心が動かされるのかもしれません。
いつの時代も「今の若者は……」なんて言葉を耳にしますが、私が若い頃は彼らみたいな気配りはできてなかったなぁ。
街角での、一期一会。
誰かがくれた優しいエネルギーは、本人は忘れているかもしれないけれど、受け取った人の心に温かいエネルギーを注ぎ続けてくれるものですね。
熱々のコロッケを頬張りながら、ふとそんなことを考えていた春の日の午後。
心もお腹も幸せに満たされました。